西日本人、エ口風習が当たり前の性的野蛮民族だったことが判明wwwwwwwwww

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1 : 2024/06/16(日) 16:01:54.119 ID:wCKM5gsv0
初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。
その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。
 これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。
必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。
古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。
すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。
 若者の男たち、ときには、なりすましの親父たちも、赤飯の出た家に夜這いをかけて、
初々しい少女を抱いて性欲を満足させたわけで、これなら風俗性産業が必要なはずがない。
昔だって男たちに強烈な性欲があった。
それが、どのように処理されていたか? 考えながら、赤線・性産業の由来・必要性を考えるのだ。
 夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。
子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。
夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。
 夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。
https://www.allintheflow.work/entry/2015/08/01/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B1%B1%E9%99%BD%E5%9C%B0%E6%96%B9_%E5%A4%9C%E9%80%99%E3%81%84
民俗学者の柳田國男が夜這いについて言及しなかったのは、単に東北には夜這いの風習が無かったからですよね?
官僚というお堅い職業だった柳田國男が言及を避けたという説もありますが、神道と稲作が密接に結びついている以上、神道は稲作が伝来した西日本が発祥と考えられるわけで、神社の祭りなんかと密接に結びついていた夜這いが西日本にしか無かったとしても、全くおかしくないと思います。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10273423155
https://pbs.twimg.com/media/GFaw10ya8AAnC7t?format=png&name=large
日本人の道徳と違いすぎる・・・大陸や半島の影響だろうか・・・?
2 : 2024/06/16(日) 16:03:17.695 ID:wCKM5gsv0
『犯罪科学』昭和5年10月号に高倉薫という人物による、「童貞開きの伝習奇習」と題する文章が掲載されている。その内容は瀬戸内海にあるある島の慣習を事例として紹介しているもので、10代の男女に対する「実技による性的な指導訓練」で、とくに童貞男性に対するものを取り上げている。

 同文章によれば、島の男性が15歳から16歳くらい、身体的にほぼ成人と同様となったと判断されると、あらかじめ決められた島内の女性、年齢にして30代から40代の婦人がセクロスの手ほどきをするというわけである。その実技は「童貞開き」と呼ばれており、ごく当たり前のこととして古くから行われていたということである。その主導権は女性側にあり、少年はあくまで受身として女性からのアプローチによって指導をうけるとされている。

 その島の慣習では、童貞開きは一夜限りのことで、その指導役の女性とは再び床を交えることはないという。そして、セクロスを経験した少年は、以後は一人前の大人として認められ、社会的な権利を与えられるという。

 著者の高倉氏は、「離れ島だけあって、島特有の種々様々な奇習珍慣がある」などと称して、あたかもこの童貞開きもそのひとつであるかのように紹介している。
https://www.menscyzo.com/2009/10/post_392.html

3 : 2024/06/16(日) 16:03:57.169 ID:wCKM5gsv0
そうした「直接的指導」は、明治維新後も形を変えつつ受け継がれた。そのひとつが先述の「童貞開き」であろう。
 また、夜這いといえば同世代の少年少女が対象となることが多いが、なかには年長の女性が少年に性的な実地指導をするケースがあったようだ。処女に男性がセクロスを教える慣習は、「スケワリ」「ハチワリ」(山陰地方)、「十三サラワリ」(九州)などのように各地にみられるが、同じように経験を積んだ既婚女性などが指導役となって、童貞の少年たちに実際の行為を教えるのだ。その際も、指導役の女性はあらかじめキチンと決められており、対象になる少年も年齢その他をクリアして許可された者に限られる。そして、年長者が「お前は15歳になったのだから、いついつの夜にどこそこのオバサンの家に行け」という具合に指示するのが大半のようだ。少なくとも、何のルールもないということは考えられない。
https://www.menscyzo.com/2013/11/post_6753.html
4 : 2024/06/16(日) 16:04:48.766 ID:XwM5cFzd0
いま令和ですけど
12 : 2024/06/16(日) 16:10:22.723 ID:wCKM5gsv0
>>4
西日本のとある地に、たった四半世紀ほど前までは当たり前のことのように定着しきっていたという、“父娘のスキンシップ”についてそう語りはじめたのは、当地で生まれ育ち、現在も暮らす滝澤三太郎さん(仮名・80)。滝澤さんの話によれば、その昔、当地の父と娘たちは、現代の我々が持つ感覚からすると、にわかに信じ難いほど濃密なスキンシップが行われていたのだという。

「まあ、よその人から見て、どこまでが大丈夫で、どこからがいけないことなのかはよくわからないけれどもね、ここいらじゃ、父娘で仲良くするのがとても良いことだというふうに考えられていたものだからね、嫁や恋人にするみたいに、ことあるごとに口づけをしたりとかね。一緒に風呂へ入るのも当たり前だし、それが嫁入りまで続くんだよ。嫁に行った後だって、盆や正月なんかに家に戻ってくれば、一緒に風呂に入るしな」
https://tocana.jp/2019/08/post_107544_entry.html

5 : 2024/06/16(日) 16:05:23.607 ID:eQhUW5JR0
いつの話ししてんだか
15 : 2024/06/16(日) 16:14:46.924 ID:wCKM5gsv0
>>5
今もある定期
6 : 2024/06/16(日) 16:06:08.541 ID:wCKM5gsv0
最近は移住が流行りのようだが、都会ならともかく、田舎にはまだとんでもない風習が残っている。特に九州や四国はその傾向が高い。

 昨年、移住制度を使って移住した女性が老人に襲われるという事件があった。あえて場所は控えるが、その地域は南洋沿いの漁業の街だ。半農半漁とはいえ、獲れる魚介類は南洋地方の色とりどりな魚介類で、癖が強く、骨が多いので地元でしか食されないが、地元のお年寄りには根強い人気がある。野菜類も本土では育つことがないはずの中国野菜やサトウキビも細々と販売されている。

 その集落(※)でなぜそんな事件があったのか、過去のことなのでインターネットでさえ伝説扱いだが、地元を離れて再び戻ってきた45歳の男性の体験談によると、つい25年前くらいまでは「若衆宿」があったと聞かされた。

※ここでいう集落は、「◯◯山のほう」といった、その地域で家が集まる場所を指す。

 集落では祭や行事を行う際、15歳になった子どもたちが特殊な集会所に集められる。「若衆宿」は祭りの準備という名目で、この2週間は集会所から学校に通わされるという。ここでは老長と呼ばれる先達から“新人”への性的な手ほどきが行われるが、場合によっては初体験の相手の指名や実行まで、老長によって決められてしまう。もちろん誰と誰が交わったかまで村中の人々が知っている。この地域では家に鍵をかけるという習慣がまるでないため、夜這いも頻繁に行われたという。

 そういった風習の中で育った老人(老人といっても50代後半のようだが)が、現代の規範に当てはめて行動を正す訳がない。この県は統計でみても、異性との交際人数が他の県を飛び抜けて多い。その背景にこの風習が関係していないはずがない。
https://tocana.jp/2020/01/post_138952_entry.html

7 : 2024/06/16(日) 16:06:50.135 ID:uzFTweoN0
>>6
若衆宿って名前がホモいな
8 : 2024/06/16(日) 16:08:02.842 ID:wCKM5gsv0
>>7
司馬遼太郎の「街道を行く」でも触れられている若衆組と若衆宿。若者組とも言われ、かつて西日本の村落ではどこでも普通にあるものでした。

男子は14,5歳になると若衆組と呼ばれる組織に入り、一人前の立派な成人男子となるべくノウハウを集団生活をしながら学びました。その若衆たちが寝泊まりしていた建物のことを若衆宿と言い、各地に多数ありました。が、風紀を乱すとの理由から徐々に姿を消し、今では宿毛市芳奈地区に残るたった4軒だけとなりました。
https://4toco.com/folklore1/
まだあった・・・

9 : 2024/06/16(日) 16:09:05.910 ID:WCd+q0Ds0
いまの日本人の道徳なんてここ200年くらいで出来たものだからそれ以前とは全く別物だぞ
16 : 2024/06/16(日) 16:15:11.581 ID:wCKM5gsv0
>>9
「西日本の男尊女卑」はあまりに有名だろ?
何か因果関係があるとしか思えないよな
10 : 2024/06/16(日) 16:09:23.016 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある地域で行われていたという奇妙な風習についてそう語り始めたのは、当地で生まれ育ち、今なお、果樹園を経営している榎本栄さん(仮名・82)。榎本さんの話によると、その昔、当地においては、新たに結婚しようとする若者たちに対して、なかなか強烈な洗礼を浴びせていたという。

「早い話が、“何が何でも添い遂げる覚悟があるか?”っていうことを確認する儀式みたいなもんだね。男のさ、見てる前でね、女の父親が娘を犯すわけ。それを男はじっと見守らないといけない。それに耐えることができて、かつそれでもまだ一緒になりたいってなら認める、と。そういう話だわな」
https://tocana.jp/2020/05/post_152318_entry.html

11 : 2024/06/16(日) 16:09:58.518 ID:wCKM5gsv0
「“普通に”考えたらおかしな話だわな。なにせ実の父娘なんだから」
 かつて西日本のとある地域で行われていたという、なんとも奇妙な婚前儀式についてそう語るのは、当地で生まれ、現在は近畿地方に住む長男宅に身を寄せて余生を送る上地三郎さん(仮名・86)。上地さんの話によると、その昔、当地の女性たちが結婚する際には、新郎との初夜の前日の晩に、あろうことか実父と肉体関係を結ぶという、にわかに信じ難い習慣が存在していたのだという。
https://tocana.jp/2020/08/post_165543_entry.html
13 : 2024/06/16(日) 16:13:27.614 ID:W+3NFYpA0
ソースはトカナとか呼吸困難になるくらい笑うからやめろ
23 : 2024/06/16(日) 16:18:11.718 ID:wCKM5gsv0
>>13
実際西日本は野蛮だろ
14 : 2024/06/16(日) 16:13:32.141 ID:1MQAST4Q0
こういう風習に何とか畳パンプスをねじ込んでみよう
17 : 2024/06/16(日) 16:15:37.550 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある寒村で行われていたという、“男と女の奇妙な習慣”についてそう語り始めたのは、当地で生まれ育ち、現在は九州北部の小都市で静かに余生を送る浜崎庄一さん(仮名・84)。浜崎さんの育った集落では、悶々とした男女の欲望を吐き出す術として、未婚・既婚の別なく、不特定の相手との肉体関係を黙認する習慣が存在していたという。

「もともと“そっち方面”におおらかな土地柄っていうのもあると思うけど、昔、あのあたりじゃ、男女でナニするのをまるで挨拶でもするかのようにやっていてね。それこそ道ですれ違ってそのまま……とか、味噌や醤油を借りに行ったついでに……だなんてことが当たり前だったんだよ」
https://tocana.jp/2020/08/post_165522_entry.html

18 : 2024/06/16(日) 16:16:06.357 ID:wCKM5gsv0
「まあね、暑いといろいろ面倒でしょ? 男も女もね、服なんてちゃんと着たくないわけよ(苦笑)」
かつて西日本のとある盆地に広がる小都市で行われていたという、“クールビズ”を超えた涼しげな生活&ファッションスタイルについてそう語りはじめたのは、現在もなお、当地で小さな繊維工場を営んでいるという脇家群壮さん(仮名・84)。脇家さんの話によれば、その昔、当地で暮らす人々は、初夏を過ぎた頃から徐々に薄着となっていき、本格的な夏を迎える頃になると、男女問わず、ほぼ半裸の状態で暮らすのが当たり前のこととなっていたのだという。
https://tocana.jp/2020/07/post_162502_entry.html
20 : 2024/06/16(日) 16:16:34.297 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある地域で行われていたという、“極めて特殊なプレイ”とものいうべき“性”にまつわる習慣についてそう語るのは、愛妻亡き今も、当地でひっそりと余生を送る西村清十郎さん(仮名・82)。西村さんの話によると、その昔、当地の夫婦たちは、回覧板よろしく“交換日記”を回し合うことで、お互いの性生活を知らせ合うという、にわかに信じ難い行為を行っていたのだという。

「さすがに毎日書いて回すわけじゃないんだけども、ナニをした日は、その内容を帳面に書いて、夜が明ける前に、次の家の軒先に引っ掛けておくことになってたよ。そう、嫁さんとのナニを事細かにね。どんなことをして、何回果てたか、とか。そういうこと。でもね、終わった後、詳しく書いてすぐに回さないといけない決まりだったもんだからね、だいたい徹夜になっちまうんだよな(苦笑)」
https://tocana.jp/2020/07/post_161373_entry.html

21 : 2024/06/16(日) 16:16:57.990 ID:wCKM5gsv0
西日本のとある地域で行われていたという、祭礼の際の奇妙な行為についてそう語りはじめたのは、当地で生まれ育ち、現在もなお、大手自動車メーカーの下請けで部品の製造を行う小さな工場を経営する填島務さん(仮名・84)。填島さんの話によれば、現在でも毎年行われるという当地の秋祭りにおいて、その昔、にわかに信じ難い行為が、「ご利益がある」とされ、公然と行われていたのだという。

「祭りの日になるとね、とにかく隣近所の集落からも大勢の人が集まってくるからね、前に進むのもやっとなぐらいに混むのよ。要はね、そのどさくさに紛れてさ、自分の気になる女に、こっそりとぶっかけてやるわけ」
https://tocana.jp/2020/07/post_157777_entry.html

22 : 2024/06/16(日) 16:17:51.848 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある地域で行われていたという、なんとも奇妙な村祭りの様子についてそう語りはじめたのは、当地で生まれ育ち、現在もなお、タマネギ農家を営んでいるという塩沢義男さん(仮名・83)。塩沢さんの話によれば、その昔、毎年田植えの前に行われるという豊穣祈願の村祭りに際しては、村の若い娘たちが羞恥まみれの行為を強要されていたのだという。
「あのね、逆立ちでね、村を一周するっていう、そういう出し物。そう、逆立ち。みんなでよーいどん!ってやってね、一等になった娘は、商品をもらえるの。そういう遊びというか、催しだね」
 なんでも当地の村祭りにおいては、村中の若い娘たちが“強制参加”という形で神社の境内へと集められ、そこからスタートして村を逆立ちで一周するという“逆立ちレース”ともいうべき行為が行われていたのだという。しかし、多くの娘たちは一周まわり切ることなく疲れ果てて脱落し、無事に完走できるのは、「例年、2、3人程度だった」(塩沢さん)という。しかし問題なのは、この競技そのものではなく、彼女たちの衣服だ。
https://tocana.jp/2020/06/post_157759_entry.html
24 : 2024/06/16(日) 16:18:31.813 ID:1MQAST4Q0
畳ガ●ジは公共政策とかじゃなくてさ、性風俗文化を専門的に研究すればいいんじゃねえか
25 : 2024/06/16(日) 16:18:35.653 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある地域で行われていたという、少年少女たちの“性”にまつわる奇妙な風習についてそう語り始めたのは、当地で生まれ育ち、今なお代々続く米穀店の主として店先に立つ吉川光明さん(仮名・83)。吉川さんの話によると、その昔、当地の少年少女たちは、思春期を迎える頃になると、お互いの裸を見せ合うという不可思議な行為をさせられていたのだという。

「12歳になる年の春、そう、ちょうど田植えの前になるとね、男も女も村の集会所に集められるんだよ。それで、男女一対になってね、服を脱いで、お互いに身体の隅から隅まで見せ合うの。年によっては人数があわずにどっちかがあぶれることもあるけど、そういうときは誰かが2回とかやって数を合わせる。とにかく、そういうね、裸を見せ合って、触りあうっていう行事だよ」
https://tocana.jp/2020/05/post_152327_entry.html

26 : 2024/06/16(日) 16:18:58.622 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある地域で行われていたという花見の宴についてそう語り始めたのは、現在も当地で一人、静かな余生を送る松本喜八郎さん(仮名・82)。松本さんの話によれば、その昔、当地の花見は、集団乱交パーティーともいうべき酒池肉林の宴が開かれていたのだという。

「まぁ、最初は酒をちびちびやりながら肴をつまんだりしてるんだけども、みんな酔いが回ってくる頃合になると、誰からともなく自然にやらかし始めるの。そうこうしてるうちに、あっちでもこっちでもやり始めて…… 結局、総当たり戦みたいになっちゃうんだよな(苦笑)」
https://tocana.jp/2020/05/post_152326_entry.html

27 : 2024/06/16(日) 16:19:31.535 ID:wCKM5gsv0
「さすがに今じゃあんなことをやる家はないけども、私が若い頃ぐらいまでは普通だったよ」
 かつて西日本のとある地域で続けられていたという、交際に際しての奇妙な風習についてそう語り始めたのは、現在も当地で暮らし、ブドウ農家を営んでいる石澤良治さん(仮名・81)。石澤さんの話によると、その昔、当地の若い男性たちは、意中の女性と交際しようとした場合、ほぼ、誘拐に近い形で、女性を連れ出すことが必要とされていたのだという。
https://tocana.jp/2020/05/post_152320_entry.html
28 : 2024/06/16(日) 16:19:52.008 ID:wCKM5gsv0
かつて西日本のとある地域で行われていたという奇妙な風習についてそう語り始めたのは、当地で生まれ育ち、今なお、果樹園を経営している榎本栄さん(仮名・82)。榎本さんの話によると、その昔、当地においては、新たに結婚しようとする若者たちに対して、なかなか強烈な洗礼を浴びせていたという。

「早い話が、“何が何でも添い遂げる覚悟があるか?”っていうことを確認する儀式みたいなもんだね。男のさ、見てる前でね、女の父親が娘を犯すわけ。それを男はじっと見守らないといけない。それに耐えることができて、かつそれでもまだ一緒になりたいってなら認める、と。そういう話だわな」
https://tocana.jp/2020/05/post_152318_entry.html

29 : 2024/06/16(日) 16:21:58.333 ID:f+RGJhZM0
なんでタコ付きってアタオカやチャンチョンが多いん?
30 : 2024/06/16(日) 16:25:24.088 ID:wCKM5gsv0
「伝統的な夜這いは、私が知っている限り、岡山などで昭和50年代まで残っていたのがほぼ最後でしょう。日本では今ではほとんどみられなくなりましたが、昔は『性教育』、『相互扶助』『ハレ(欲求やストレスの発散)』のため、村の生活システムに組み込まれていたものが少なくありません」  例えば九州北部のある集落では、元旦の除夜の鐘が鳴り終わる頃に、老人、若者、子供が裸で神社の境内に集い、年に一度の“性の無礼講”に発展することも多かったという。また別の集落では、神社の祭りの日に近所の男女が行き合って、知る知らぬにかかわらず、情を通じ合ったとか。なかには新聞沙汰になったケースもあり、戦後しばらくこの風習は続いたという。
https://nikkan-spa.jp/496378
31 : 2024/06/16(日) 16:27:05.372 ID:wCKM5gsv0
例えば、あなたが年頃の娘さんの親御さんだとします。娘が夜這いされたら怒るでしょう。特に父親の怒りはとんでもないことになると思います。でも、この時代の西日本の方々は怒りません。怒るどころか「うちの娘も夜這われた」と安心したといいます。娘に誰も夜這いが来ない場合、親は雨戸の横に娘を寝かせて夜這いされやすくしたといいます。

 美人の娘にはたくさんの男が夜這いに来る、そう思いませんか?たくさん来るらしいです。そして、基本断らず、すべての男を受け入れるらしいです。

 子どもができたらどうするんだ、と思いませんか?子どもができるんです。そうした場合、娘が父親となる男を選択することができ、男には拒否権がなかったとのことです。
https://www.yama-mikasa.com/entry/2017/05/06/082442

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