■「宇宙のカミナリを集めたような轟音でした」
美輪明宏さん。丸山遊郭に近い長崎市本石灰町で生まれ育った美輪さんは、10歳の時、自宅で被爆しました。
美輪明宏さん:
「ちょうど私が学校の宿題の絵を二階で書いてたんですね。でき上がった絵を二・三歩下がって確かめようと思ったら。ピカッ!っと、マグネシウムを千個か一万個くらい炊いたような灯りがピカッと光ったんでね…」
「あれ?こんないい天気の日に雷?と思うか思わないか、その一瞬でしたね、宇宙の雷を全部集めてきて音にしたようなものすごい轟音でガー!!っとなったんですね」
■焼けただれた人々、水を求める声
自宅は爆心地から、およそ3.6キロ。
何が起きたか分からないまま、家の近くの防空壕へ逃げ込みました。
美輪明宏さん:
「側にいたお手伝いさんが『こっち!こっち!』っていって、二人で布団かぶって、『また来るかもしれんからって逃げよう!』と言って逃げたんです」
「近所の楠神社という所の下に防空壕があって、そこに許可を得て逃げ込んで外に出たら……、お化けみたいになって頭の先から足の先まで火傷だらけの人間が逃げまどってましてね。服が一瞬にしてボロボロになって…。ひどいもんでしたよ」
■「イズヲクダサイ」…次々と現れた火傷の人々
「家がカフェーをやってましたので、入り口の所に畳敷きのショーウインドウがあったんです。女の人がねボロをまとって、髪の毛は抜け落ちて、顔も手も体中が火傷だらけで『スイヤセン』って…。唇が火傷のためにあわないんですよね『スイヤセン』って言って、その辺にごろっと寝ころんだんですよ。そして『イズヲクダサイ』というんです。『イズってなんだろう?』と思ったんですが、水のことだった。唇が火傷のためにあわせられないんです」
戦争を知ってるからこれが言えるのだ
■焼け野原の浦上…10歳が一人で歩いた「地獄」
美輪さんの祖父母は爆心地近くの浦上地区で銭湯をしていました。美輪さんは8月15日、終戦の報を聞いた後、ひとり歩いてそこに向かったといいます。
美輪明宏さん:
「祖父母は浦上天主堂の近くでお風呂屋さんをやって住んでたんです。子どもの足ですけど、父親に言うと怒られるから内緒でそこまで徒歩で何とかたどって…。だけどどこが何やら、何がどこやら…もう見渡す限り、どこも焼け跡だらけでわからないんですね。祖父や叔母たちはそこで亡くなりましてね…地獄ですよ」
■「責任は誰に?」生涯貫いた反戦の歌と祈り
シンガーソングライターの元祖でもある美輪さん。これまで反戦をテーマにした歌を多く作り出し歌ってきました。
美輪明宏さん:
「シンガーソングライターの元祖として、戦争反対の歌をどんどん作っていったんですね。人類始まって以来の爆弾でしょ。誰が?どうしてこんな残虐な爆弾を作ったのか?原爆なんていうものを作ったのか?その責任は誰にあるのか?―そういったことは子供でもちゃんと教えておいた方がいいと思いますね」
■「ありがとう、ごきげんよう」
「日本は美しいもの、抒情的なもの、それを武器にしていく、日本の生き方はそれしかないんです。それに背くとひどい目に合うんです、悪魔にね…」
「とにかく長崎の子どもたちは『優しくて美しいものが好き』という風に育って、それを世界に広めてくれればと思います。『あー長崎出身ですか、素晴らしいですね』という風になって欲しいと思います」
二度と日本が戦争を繰り返さないように、美輪さんは原爆の恐ろしさだけでなく、その責任は誰にあるかまで子どもたちに教えるべきと話しました。
そして子どもたちには日本独特の美しさや優しさを大事に、美術、芸術、文化を育み世界に広げていって欲しいとメッセージを送っています。
美輪明宏さん:
「ありがとう。ご機嫌よう」
長崎から平和と愛を訴え続けた美輪明宏さん。謹んで哀悼の意を表します。
イケメンなんだよねぇこの人
このクズの子孫まで含めて根絶やしにしろ
しかも大都市のド真ん中に
軍の基地にでも落とせば十分やろがい
マジでアイツラ人間じゃないだろ
そこん所を戦後批判してくれたのがソ連なんだが(目的は米叩きだが)、そういったの忘れプーチンが核ちらつかせると発狂、その他が同等の事をしてもスルー
責任は戦争加担者全てにある
天コロを神と崇め命を捧げる特攻を賛美なんてはっきり言って異常ですよ
こんな狂信者共を相手にするのだから核爆弾投下は合理的で正しい選択ですね
住んだとこから取ったのかと思ってたが
またジャップのお家芸「他責」かよ
確かに原爆投下は日本人の責任
そうゆう問題じゃねーだろ、まぁ言っても分からんか。
そういう問題だよ
すべて昭和天皇とその取り巻きの責任です
今の天皇は責任者の孫です
昭和天皇はオウムの麻原と同じです
アメリカがパールハーバーを攻撃されても侵略したアメリカが悪いんだよな


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